大阪高等裁判所 平成6年(う)743号 判決 1995年3月31日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二年六月に処する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人後藤玲子作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官藤村輝子作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意に対する判断
論旨は、被告人には傷害の故意がなかったばかりか、本件では正当防衛が成立し、また、他の行為に出る期待可能性がなかったのに、原判決が傷害の故意を認めた上、正当防衛も過剰防衛も否定し、さらに、期待可能性がないとはいえないとしたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実を誤認したものである、というのである。
所論(弁護人の当審弁論を含む。)及び答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。
1 本件各証拠によると、本件に至る事実経過について、次のとおり認められる。
(1) 被告人は、本件当夜、中学の後輩又は同級生のA、B、C及びDと飲酒した後、飲んだ店のあるタイシンサンセットビル前で、ア、イの本件各被害者のほか、ウ、エ、オ及びカのグループと行き合い、同人らが行き過ぎた後、後方から「こらガキ。ええかっこしやがって。くそガキ」などと罵声を浴びせた。アらは、いったんはそのまま北に進んだが、一部の者が「あいつら腹立つな」などと立腹し、これに他の者も同調して六名全員が引き返してきた。
(2) 最初に、ウと前記ビル前路上にいたAが胸倉を掴み合っての喧嘩になり、ウがAの胸倉を掴んだまま道路東側の駐車場の中に押して行き、Aの顔面等を殴りつけ、同人を駐車場の奥まで追い詰めた。Aは、手に触れた植木鉢をウに投げつけると、これがウの顔に当たって同人は負傷した。その後駐車場の中に入ってきたイ、エ、オらは、ウがやられたなどと憤激し、Aに殴る、蹴るの暴行を加え、更に、「連れ出せ」などと叫びながら、Aを駐車場入り口付近の広い所に引き出し、カ、ウも加わって、無抵抗となったAを殴る、蹴るの袋叩きにした。このような一連の暴行により、Aは、顔面打撲、右眼部打撲、頭部打撲、頸部捻挫等の加療約一〇日間を要する傷害及び鼻骨骨折等の加療約三週間を要する傷害を負った。
(3) 右の間被告人は、「すいません、止めてください」などと言って、揉み合っているウとAの間に手を入れたり、ウの後からその腰辺りを掴んだりして、二人を引き離そうとしたが、そうするうち、後からイら数人が近づき、イが「こいつらか」と言って、振り向いた被告人の顔面を手拳で殴った。被告人は、このときようやく自分の罵声が原因でイらが仕返しに来たものと分かり、イを駐車場出入口の方へ押し返しながら、「すいません。止めて下さい」と言って謝ったが、イは、被告人の首の付け根や背中の辺りを殴り、更に、謝り続ける被告人に「のけ、こら」と怒鳴り、首の付け根や左膝を殴ったり、蹴ったりした。被告人は、何とか謝って喧嘩を収めようとしたが、相手方の攻撃が止まないので、このままでは埒があかないなどと思い、駐車場から道路に出ると、そこにいたアが、「お前もか」と言って、被告人の口元を手拳で殴りつけ、「すいませんでした。許して下さい。勘弁して下さい」と謝る被告人に対し、一方的に、後頭部から首の辺り、太股、膝などを連続的に回し蹴りで蹴ったが、被告人が無抵抗であったので、それ以上の攻撃はしなかった。
なお、被告人の他の仲間のうち、Bは、前記ビル前道路上でエから手拳で殴られ、その後駐車場内でオからブロック片で二回位顔面を殴られたため、失神してその場に倒れ、Cは、Aと被告人が駐車場の奥へ行くのを追ったが、エからほうきの柄で後頭部を殴られ、その場に頭を抱えるようにしてしゃがんだところ、背中や両手をほうきの柄で叩かれたり、でん部を蹴られたりし、Dは、相手方との揉み合いの中には入らず、駐車場前の道路で様子を見守ったり、飲んだ店に戻って警察への電話連絡を頼んだりしていた。
(4) 被告人は、この上は警察に連絡するほかないと考え、前記ビル前にいた男に「すいません、警察を呼んで下さい」と頼んだが、同人が「あんたら逃げい」と言ったので、公衆電話を探し、前記ビル近くの焼鳥屋をのぞくと、先程の男が「わしの店やからあかん」と言って店に入り、入り口を閉めたので、ここでは駄目だと思った。そして、被告人が焼鳥屋をのぞいた前後のころ、Cが駐車場の方からふらふらした足取りで被告人の方に来た。Cは、左耳の辺りを手で押えていたが、指の間から血が流れており、被告人に「甲、頭をやられた」、「このままだとAが殺されてしまう」などと言った。そこで被告人は、焼き鳥屋の三軒北側のお好み焼屋の前にあったビールケースから空のビール中瓶二本を取り出し、両手に一本ずつ瓶の口の方を握り、道路中央付近で瓶の底を叩きつけて割り、先がぎざぎざに鋭く尖った状態とした上、Aがいると思われる北の駐車場に向かって、「われ、こら」と怒鳴りながら小走りに走って行った。
(5) 被告人は、駐車場に至る途中、ビール瓶の割れる音で道路上に出てきたアと対面し、ボクシングスタイルで身構えながら、一、二歩近づいてきた同人に対し、ビール瓶を持った右手を大きく右斜め上に振りかぶって、同人の顔付近に向けて振り下ろし、瓶の先を同人の左顔面に当てて原判示の傷害を負わせ、同人は逃げて行った。次に、被告人は、近くにきたウに対し、ビール瓶を振り下ろして左顔面を傷つけ、同人も逃げた。さらに、被告人は、アが負傷したのを見て近づいてきたイに対し、左手のビール瓶を同人の首付近に向けてほぼ水平に振り回し、瓶の先をイの首の右側に突き刺し、イは、近くに駐車中の軽四自動車にもたれかかるようにして路上に倒れ、失血死した。
(6) その後被告人は、イをそのままにして南の方に歩き、ビール瓶を路上に叩きつけて細かく割り、更に南に歩いたが、仲間のことを思い出して、後の駐車場の入り口辺りにいたA、C、Bらに声を掛け、同人らと共に現場を離れた。
2 傷害の故意についてみると、所論は、「傷害の故意を認めた原判決の認定は誤りである」と主張し、被告人も、原審及び当審公判で、ビール瓶を振り回したのは、ア、イらを牽制するためにしたものであって、傷つけるためではなく、ことにイに対する行為は、ウに対しビール瓶を振り回した際、被告人の右側にいたイを追い散らすつもりで、右に振り向きざま反動をつけて振ったところ、イが急に近づいてきたため同人に当たったのであり、当たるとは思わなかったなどと述べ、所論に沿う供述をしている。
しかし、右の被告人の供述をそのまま信用できないことは原判決が説示するとおりであり、傷害の故意を認めた原判決の認定に誤りはない。すなわち、関係証拠によれば、被告人は、前記のように、ビール瓶の底を割ってぎざぎざの状態とした上、アに対し、至近距離で対面した同人の顔付近に向けて右手のビール瓶を振り下ろし、瓶の先を顔面に当てて同人を負傷させ、イに対しても、同人が間近にいることを十分承知しながら、左手のビール瓶を同人の首付近に向けてほぼ水平に振り回し、瓶の先を同人の首の右側に突き刺したものと認められ、その反面、被告人が、本件ビール瓶で同人らを傷つけることのないよう配慮した形跡は一切見当たらないし、そのような冷静な心理状態にあったとも認め難い。このような本件ビール瓶の形状、被告人の本件行為の態様等に照らすと、被告人に傷害の故意があったことは明らかである。これと同旨の原判決の認定は相当であり、所論は失当である。
3 正当防衛ないし過剰防衛の成否について判断する。
(一) 急迫不正の侵害の点は、前記のとおり、Aは、引き返してきたウ、イ、エ、オ、カらから、駐車場内で殴る、蹴るなどの激しい暴行を受けたものであり、これは急迫不正の侵害に当たる。原判決も説示するように、本件の発端は、被告人が挑発的な罵声を発したことにあるが、その後の経緯、特に右のウら相手方の暴行がAや被告人らの予期、予測を遥かに超える激しいものであったことなどを考えると、Aに対する急迫不正の侵害があったと認めることができる。そして、原判決も認めるように、被告人がア、イに対する本件行為に及んだ時点でも、駐車場内でのAに対する暴行は終わっていなかったと認められる。また、被告人の認識をみても、被告人は、駐車場を出てからは、Aが具体的にどのような暴行を受けているかは知らなかったとみられるが、駐車場を出る際、相手方が「指つめてまえ」、「さろうてまえ」などと叫ぶのを聞いたり、駐車場中央辺りで誰か仲間(後にBと判明)が倒れているのを見たりしていること、駐車場を出た後、警察に電話連絡しようとし、頭から出血しているCの様子を目にし、さらに、同人から「このままだとAが殺されてしまう」と言われたりしていることなどに照らし、被告人は、本件行為の時点でも、なおAら仲間に対する暴行が続いているのではないかと懸念していたと認められる。
(二) 防衛意思の点は、前記のとおり、被告人は、自分の罵声が原因で相手方の攻撃を招いたという気持ちもあって、当初はひたすら謝罪してAらに対する暴行を止めさせようとし、自分がイやアから暴行を受けても、一切抵抗をしなかったが、それでも相手方の攻撃は執拗で一向に止む様子がなく、しかも、激しかった。そのため被告人は、警察へ電話連絡をしようとし、その連絡を焼き鳥屋の主人に依頼したが断られ、そのころCが頭から血を流しながら、「甲、頭をやられた」「このままだとAが殺されてしまう」などと言ってきた経過がある。この経過に徴すると、被告人がビール瓶を手にして駐車場の方に向かったのは、駐車場で暴行を受けていると思われるAに対するそれ以上の暴行を阻止するためであり、ア及びイに対する本件行為も、同人らが行く手を遮るようにして現れ、被告人に向かってくるような態度を示したので、同人らを排除するためにした行為であって、Aを救い出すための防衛行為であったとみることができる。
原判決は、本件行為前後の被告人の現実の言動に照らし、本件行為は専ら相手方に対する憤激の情による攻撃意思に出たもので、被告人にはAを防衛する意思も防衛する行為もなかったとしている。確かに、原判決が指摘するように、被告人に、謝罪しても一向に暴行を止めない相手方への強い怒りや憤激の情があったことは否定できないが、原判決が上げる点を考慮しても(ただし、原判決が被告人にAらを探したり気遣ったりする旨の言動がないとする点は、被告人が駐車場に向かったこと自体がAを救うための行動であるとみるべきであるから、この点の原判示は適切ではない。)、それは前記の防衛意思と併存し得るほどのものであって、本件行為を防衛のための行為とみる妨げとなるものではない。したがって、原判決が本件行為を専ら憤激の情による攻撃意思に出たものと認めたのは、誤りである。
(三) 行為の相当性の点は、Aに対する相手方の暴行は、人数や当初の勢いが勝っていたこともあって、相当激しく、極めて執拗なものであったほか、相手はブロック片(オ)やほうき(エ)などの凶器を手にしたり、後の仕返しを恐れて、「連れて行こう、連れて行って海にはめてしまえ」などと叫んでいたり(オ)していたことなどに照らすと、単にAの身体に対する攻撃にとどまらず、生命に対する危険をもはらむ攻撃とみ得るものであったと考えられる。しかし、他方、本件ビール瓶は、底を路上に打ちつけて割り、先がぎざぎざに尖ったもので、首を一突きされたイがほとんど即死の状態で失血死したことが示すように、殺傷力が殊の外高いものであったこと、そして、被告人が反撃した当の相手は、現にAを攻撃中の者ではなく、Aがいる駐車場に行く途中で出会ったアとイであり、同人らは、何も凶器を手にしておらず、素手のままで被告人に対して身構えたり、一、二歩近寄ろうとしただけであったこと、これに対し、被告人は、相手の顔や首付近を目がけて右ビール瓶を振り回し、それぞれ一撃の下にア、イを傷つけたことが明らかである。このような本件の具体的な事実関係に徴すると、前記ビール瓶でア、イに反撃した被告人の本件行為は、防衛手段としての相当性を超えるものであったといわざるをえない。
このようにみると、ア、イに対する本件行為は、急迫不正の侵害に対し、Aの権利を防衛するためのものであるが、いわゆる相当性を欠くため、正当防衛は成立しないが、過剰防衛は成立するものと認められる。
4 所論は、「被告人の本件行為は、当時の状況下では他の行為を選択する余地のない行為であり、期待可能性がない」と主張するが、被告人は、当時の緊迫した状況の下でも、例えば、電話を断られた焼き鳥屋のほかにも、自分の携帯電話で、あるいは近くの店等に依頼して警察に連絡したり、助けを求めたりするなど他に採り得る方途があったことは明らかである。これと同旨の原判決の判断に誤りはなく、所論は失当である。
以上によると、原判決が被告人に傷害の故意を認めたのも、本件で期待可能性がないとはいえないとしたのも正当であるが、ア及びイに対する本件行為につき、防衛の意思及び行為がないとして過剰防衛の成立をも認めなかったのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実を誤認したものである。論旨は、右の限度で理由がある。
よって、その余の論旨(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、被告事件について更に判決する。
二 自判
(罪となるべき事実)
被告人は、平成五年一二月一二日午前一時三〇分ころ、神戸市中央区北長狭通二丁目四番五号先路上において、通りがかりのア、イらに対して自らが発した罵声が原因で、連れの友人のAらがイら相手方から暴行を受けるに至ったので、これを止めさせようとイらに謝罪したが、逆に同人らから一方的に殴る、蹴るの暴行を受け、更にAも同人らから殴る、蹴るなどの激しい暴行を受けて負傷したことから、相手方に対する憤激の気持と、Aの身体若しくは生命を防衛する気持が併存した状態で、付近にあったビール瓶(中瓶)の空瓶二本を持ち出した上、それらの底部を割って両手に持ち、右の防衛に必要な程度を超え、
第一 前記ア(当時二三歳)に対し、右手に持っていたビール瓶の割れた部分で同人の左顔面を一回切りつけ、よって、同人に全治約一四日間を要する左前額部、左頬部、左下顎部刺創の傷害を負わせ
第二 前記イ(当時二五歳)に対し、左手に持っていた前記ビール瓶の割れた部分で同人の右側頸上部を一回突き刺し、よって、同人に右内頸動静脈切損等の傷害を負わせ、そのころ、同所において、同人をして右切損に基づく失血により死亡するに至らせ
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法二〇四条に、同第二の所為は同法二〇五条一項に該当するところ、判示第一の罪について所定刑中懲役刑を選択し、判示各所為はいずれも過剰防衛であるから、同法三六条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断するところ、本件犯行の罪質、態様、結果、動機等、ことに前判示のとおり、被告人は、ビール瓶の底を割って先を尖らした上、これを素手の被害者らの顔や首付近をめがけて振り回すなどしたもので、犯行態様が極めて危険で悪質であること、被害者アに重傷を負わせたほか、無惨にもイを即死同然の状態で死亡させた本件の結果が重大であること、イの遺族とは示談など成立しておらず、その被害感情も厳しいことなどに徴すると、被告人の刑責は重いというべきであり、他方、被害者らにも、被告人の罵声に触発されたとはいえ、ほとんど無抵抗の被告人やAらに執拗で激しい暴行を加えた重大な落ち度があること、本件行為は程度を超えるものではあるが、友人Aを救うための防衛行為であったこと、被告人がアに治療費を含む損害金として一万円を支払い、イの遺族から面談を拒否されているため、法律扶助協会に一〇〇万円余りの贖罪寄付をしていること、原審及び当審を通じて真摯な反省の態度を示していることなど被告人に有利な事情もあるので、このような事情も十分斟酌し、被告人を懲役二年六月に処することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田村承三 裁判官 久米喜三郎 裁判官 出田孝一)